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【事 案】 家主の入れ歯治療代債権が時効で消滅した後、歯医者は滞納した家賃と相殺できるか?

【結 論】  治療費の消滅時効が完成するまでに滞納した家賃と、入れ歯治療代が相殺できる。(類:最判S39.2.20)

 この事例は、歯医者がビルの一室を借りて営業しているが家賃を滞納していた。
 たまたま、前にビルの家主の入れ歯治療をしてやったが、それを家主に払ってもらわないうちに治療代が消滅時効にかかってしまったという内容です。

 医者の治療代は3年で時効消滅しますし、入れ歯治療代なら100万円ぐらいになることはザラなので、世間でもあり得る話かと思われます。
 他にいくつかの事例を挙げると、土地を借りて営業している自動車整備会社が地主の車を修理してやったとか、ビルの一室を借りて営業している飲み屋がビルのオーナーに飲み代のツケがあるとかは身近にありそうです。

 まず歯医者の立場からみて、すでに時効で消滅したはずの治療代(自働債権)と、滞納している家賃(受働債権)が相殺できるのかが問題となります。
 消滅時効は、債権はある一定期間放置しておくと消えて無くなってしまうという制度ですから、事例で歯医者が「入れ歯の治療代は、3年経ったからもう時効だよ。払わないからね」と家主から言われてしまえば、もはや請求できないという決まりが民法にあります。ちなみに、飲み屋の代金は1年で時効にかかってしまいますから、お店側はうかうかしていられません。

 しかし民法には、もうひとつ面白い規定があるのです。
 時効によって消滅した債権が、その消滅以前に相殺に適するようになっていた場合には、その債権者は、相殺をすることができるというもの。
 どういうことかというと、家主の入れ歯治療代が時効で消滅して請求できないとしても、歯医者が家賃を滞納していたときには治療代と家賃を相殺できるということです。
 仮に家主が治療代は時効だから払わないと言ったら、歯医者は家賃と相殺しますと言えば、この二つの債権は相殺されてチャラになってしまうのです。

 なぜ既に時効で消滅しているはずの治療代と、その反対の家賃相殺が認められているかというと、対立する二つの債権の当事者は、相殺できる状態に達したときには当然に清算されたと考えるはずである。そのような両当事者の信頼を保護するために、時効消滅した後でも相殺できると解釈されているからです。
 事例でいえば、歯医者は滞納した家賃は治療代と相殺すればいいやと考えているはずであり、一方の家主は治療代は家賃と相殺すればいいさと考えていたはずであり、その両者の相殺に対する期待、信頼を保護しようということかと思います。
 そこで次に問題となるのが、賃料の滞納期間は制限されるかということです。

 入れ歯治療代ではなく不法行為による損害賠償請求の事案でしたが、期間の点について裁判所は、消滅時効後の債権を自働債権とする相殺は、相殺適状にあった時点の受働債権額の限度でなしうるものである。相殺の意思表示の時点における受働債権額につき相当額で相殺を主張できるものではないとしています。
 つまり事例では、治療代の消滅時効が完成した時点における滞納賃料でしか相殺できないことになります。
 例えば、3年前の1月10日に家主に100万円の入れ歯治療をし、昨年7月から歯医者が賃料月額10万円を滞納していたときには、歯医者は7月から12月分までの60万円しか相殺を主張できません。
 1月10日には治療代の消滅時効が完成していますから、それ以降はチャラにならないということです。

 なぜでしょうか、もう一度ふり返ってみると、時効消滅後でも相殺できるというこの不思議な制度は、対立する二つの債権の両当事者の、相殺ができる時点(相殺適状)における、相殺に対する期待や信頼を保護するためにあるわけです。そうすると、消滅時効が完成してしまった後の1月以降の分まで、本来払わなければならないはずの賃料滞納は、保護されるべき筋合いではないという結論になります。

 時効については分かりづらい点が多くあります。例えば、NHKに払っている受信料の時効が5年だということが明らかにされたのは、平成26年の最高裁判決です(継続的な契約でも、受信料は定期金債権ではなく、1年より短い時期によって定めた定期給付債権にあたるとしました)。
時効は、契約するときや、債権債務を管理する上で重要なポイントになりますが、ついウッカリして時期を逸してしまわないよう十分注意が必要です。

当事務所がお手伝いします 消滅時効の援用、時効消滅後の債権に対する相殺申し入れ、示談・合意書作成